2019年07月01日

手作りベーコンいただきました

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またお隣さん。

昨日か一昨日か、
ベーコン作りましたから食べてくださいと持ってこられ、
ビックリです。

何かと助けてくださるお隣さんです。

父がいなくなったことを、
自分の親戚がいなくなったかのように、
寂しさを共有してくださり、
何かとこうして気にかけてくださってるなあと
わかります。

今朝、包んであったラップを開くと、
まあ何ていい香りなんでしょう。
桜チップの香りと豚肉の甘ーい香り。

早速ベーコンエッグ。

昨夜まともに食べてなくて
夜中からお腹すいて力がでなかったので、
これで力つくきそう。

さっきまた、
庭に植える野菜のことを確認に来られたので、
どうやってベーコン作ったか聞いてみました。

やあー本格的じゃないんですよ。
と教えてくださいました。

さすが床屋さんだけあって
器用なんだなあと感心しました。
何でもやってみようとする気力が凄いな。

うちの草ボウボウの庭が
だんだん野菜や花で飾られていきます。

山ほどある、
父の集めた
私には豚に真珠の薬剤や道具が生かされて、
天国でニンマリしているかな。

また朝からグーッとダウンで、
固まり動かなくなり、
地の底にはりつきそうだった私を守るため、
神さまが次々お尻をたたきます。

あ、今日ダスキンが来ると言ってたな…と我に返りました。

昨日で、私の体が必要とされた唯一の要素。
教会会計が私の手から離れました。

具体的に、私の体がこの教会の働きに必要とされる要素はゼロになり、
働きのために私の名前が呼ばれることは、
もうありません。
前は呼ばるのは、お金に関してだけでしたが、
それもなくなりました。
こういう書き方が受け入れられないのでしょう。
実際働きには距離と時間の制約で関われないので、
恵みによって
会計のご奉仕をさせていただいていましたが…
これでどうでしょう。

長崎教会を愛するみなさん、
みなさんの誰よりも、私愛してましたよ。
いちいち教会を痛めるとか考える必要なんかありません。

教会は私の体。
私は教会の一部でしたから。自分ですよ。

洗礼も受けていないあなたに、
教会とともに生きてないあなたなんかに
わからない。とやかく言われたくない。

いのちですよ。
キリストの体ですから。

私が私から離れたんです。
意味がわからないでしょう。
わからなくていいです。
 
普通に、必要とされなくなったら、
人間がどうなるか?

そんなことない!あなたは私たちにとって大切な存在よと浮いたことを言われても、
実際自分が一部とはなっていない働きが、
目の前で展開し、それを脇で
ただ見ているしかない人間の内側がわかりますか?

やはり「必要じゃないんだ」というメッセージを受け続けているのです。

あなたはいていいけど、
いなくていいんだというメッセージです。

それでもそこにニコニコ存在できる人は
よほど鈍感か、自己過信できる人か、
あるいは
よほどのキリストにあって成熟した愛の人。
そうやっていることが使命だと感じられる人。
私は後者になりたいですが、今はなってません。

そうなれない人間にとって
これは拷問です。

だから、私はそこから逃げました。

本当は人生で一番悲しく辛いこの時、
一番助けであってほしかったのが教会。
そうなるはずだと信じ切っていたのが教会。
でもきっと教会は、主から託された介護という使命を果たし終えた私が、
まるで凱旋する兵士のように、新しい使命に向かうと思っていたのでしょう。
そうであれば良かったけど、
事態は、もっと私を教会から離す方へ動いていました。
私の心と状況は、今の教会にまたピタリと収まることはできませんでした。

家族がいなくなった私の永遠の家族と信じて、
思い描いていた私の理想の神の家族も、
見事に私のうちで崩れてしまいました。
顔を見て一番ホッとする人達であったはずの人達の顔を今は見たくないし、
話したくもありません。

教会は、
私の辛さ切なさ焦りや悔しさに構っていられないくらい働きに忙しいので、
走り回っています。

きっと高齢な私たちの父母も、同じ思いでいたかなと頭をよぎります。

もし気づいても、
多分、大事な家族の一人が沈んでしまうのを
どうしてあげることもできなかったでしょう。
返って働きの妨害となるのです。

一人で越える。

いや。神がともにいて、決して離れません。
神は真実。
人は不真実。これが真理です。
これを知る私は何と幸い。

教会という支えがなくなった今、
何故かご近所さんたちが
こんなに優しかったのか…と思います。

先日は、町内配布物を配り終え、
ぼんやり歩いていると、
向こうから
「元気ー?」と近くの薬局の奥さん。

「ねえ、梅ジュースたくさん作ったから
飲まない?
これ、お宅まで付いて行くから、
ほかの容器に移してビン返して。」
と手作り梅ジュースをくださいました。

みんな、私が介護にはまっていた姿を見て、
あなたが神さま信じているから、
やはりほら、こんなに凄いねと感動してくるた人達。

何かあったら言って…と、
励まし続けてくれた人達でした。

キリストの愛はわからなくても、
彼らにできる精一杯の愛情が
いまは
とてもありがたい。

鎮痛剤のように痛みに効きます。

あ、そうだ。昨日、
会計作業を私がやり終えることができなかったとき、
イザヤ牧師がそれを引き継いでくれました。
何故かそれにはホッとする神の愛を感じましたよ。

お世辞ではありません。

聞いてくれる。
何でもいいからわかって聞いてくれる。
わかる心がある。
孤独な人にはそれが要るんですね。

posted by JOYJOY at 10:33| Comment(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする