2019年11月13日

タラントを使って

この教会に来てすぐ、通訳をと言われました。
でも私にはこだわりがありました。
前にいた教会がアメリカだったので、
そこに集まってくる人々が真にキリストを求めているのか、アメリカ的なものを求めているのかわからず、嫌気がさしていたからです。

もともと英語は傷であり汚点でしたので、
かなり抵抗がありました。

英語礼拝を始めたらとか、英会話やったらとか、
私のこだわりは、全部素直に受け入れられず、
あれは前の教会がアメリカ人の教会だから神さまが一時的に与えられた力だとか、色々言っていました。

ある人が、
バカね。それだって全部人が救われるために主に使っていただくんじゃないのと言ってくれました。
で、重ーい腰をやっと上げ、
英会話クラスやら英語礼拝やら奉仕もしました。

通訳は、これが教会の恵みなんだなとビックリするくらい力が与えられました。
キリストのからだがキリストの働きをなすために注がれる神からの力です。

その後遣わされた色んな土地で
教会に仕えるために与えられた力も同じでした。

ある場所で礼拝でメッセージすると、
「わたしら、色んな所にお金かけて、みことばを受けたくて遥々でかけていたんや。
今、毎週それ以上が受けられる」と喜んでくださぃました。
自分じゃないな、とよーくわかりました。
召された祝福でした。


posted by JOYJOY at 11:10| Comment(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今の教会に来てからの事

最初はやはり、人は来るのかな?と牧師夫人さえ言われたほどの人の出入りでした。
でも私には魅力的な礼拝、祈祷会、交わりでした。
教会って何?の疑問の答えがはっきり与えたれ、
そうだよね。ソーダヨネ!ということが次々でした。
ここに来て開かれたことが山ほどあります。

見たかったいける神の奇跡もいくつも見ました。
具体的な祈りの答えや
主が指示されることも。

でも一番大きなことは、
キリストの十字架の愛と恵みと力です。

今でも語られ続けています。

ところで、保育の仕事は、キリストを信じると同時に辞めていました。

理由は、
第一は、私が臨時に雇われた職員で、
何年居ても、どんどん新しい人に追い越され、同じことばかりをやる立場に耐えられなかった事。

次がおかしい理由で、
当時市の財政が逼迫しており、少子化が進む中、
市の保育所が閉鎖される。私たちは老人ホームに働きに行とよ…などという噂が流れました。

折しも私たち、非正規雇いの職員にも転勤があり、
私は、解雇されるならまずわたしたちから…と、思い込んだのです。

と同時に新たな職場になじめず、
さらに、
保育カリキュラムの中にほぼ年間すべて、何らかで偶像礼拝から来る文化に子供達を触れさせるので、
それはできないと思ったからです。

今思えば青かったし若かった。
今ならそんな風には思いません。
そこにクリスチャンが1人居ることの大事さに私は気付いていなかったし、
実は自分が嫌になっていただけでした。

非正規でないと、やはり正式採用試験なんて、目で絶対にはねられたはず。

神さまがあわれみをくださっていたのに気づいていなかったのです。

だし、私が新しく配属された保育所は、
唯一、今でも市の保育所として残っています。
バカだったな。ひょっとしたら今でも最古参の非正規職員として働いていたかもしれません。

でも、私はすべてを新しく始めたかったのでした。

ゼロから。

そうして、5年後に教会を変わり、

私は漠然と牧師になりたいと憧れを持つようになっていました。
訳なんかわかっていない少女が、
わたし、うちゅうひこうしになりたい
と口走るのと似ています。

でも、「えり子さん、うちでは独身の女性はたてないよ。女性は夫とともに立つんだよ」と笑われてしまいました。

そうです。本当に。なるほど納得!

不思議ですが、私は「真理」だとわかると、
すべて解決してしまいます。

感情や体験だけで話されると、だんだん嫌気がさしてきます。

だから、自分が感情的に揺らいでも怒っても、泣いても、それはそれ。
真理は、あ、そうだ。と、1タス1=2で納得します。

それからは揺れません。

真理は真理だからです。
感情も都合もありません。
上から下に物は落ちる
当たり前のことです。

困ったことに、私は、自分に劣等意識を持ち、かつ母の影響か、結婚などに夢も憧れももてませんでした。女は損だと思っていました。
今、真理が開かれたので、そんな事は全く思いません。ただ、もう夫の介護まではやりたくないと思っています。

で、そうだなと思ったので、
その同じ人の口から
副牧師として島原へ…と言われた時は、
一体何の罰だ?
なんでこんなことになるんだ?ともうド混乱しました。

私たちの納得を超え、
真理は主が開かれるのです。
主が開かれた時、真理がその人にとって真理となります。

そうすると、もっと大きな納得!!!!の頷きが起きます。

でもそれに至るには随分七転八倒しました。
実際、女性が牧師になっていいの?と嫌味な電話もありました。
その時にはすでに私には主からの言葉が与えられ、解決していたので、その言葉で助かりました。

私はここから、やっと、いける神が私をさえ使われるのだと知るようになりました。

もっと牧師になりたいと願うようになりました。
最初は何かカッコいい姿に憧れていましたが、
だんだん違うものを思い描くようになりました。
自分がそれに至るには
もっと七転八倒するでしょうね。


posted by JOYJOY at 10:50| Comment(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

教会を追い求め

宣教師さんは、ある事で、属しておられる教団と見解を異にしておられました。
彼の家系は代々その教団の神学者や宣教師の家系で、お父様は西日本では有名な方でした。

彼は日本で生まれた、まさに宣教師さんの家庭でしたが、聖霊ということについて、彼はある真理が開かれ、教団とは教理を同じくすることができずにおられ、
ご自分で新しい教会を単立で始められました。
そのきっかけが、私の洗礼でした。

ほぼご家族と私。
訪れたり交わったりする多くの人々は、英語が欲しい人、また宣教師さんの人柄に惹かれた人々でした。

その中で、私のうちに常に
教会って何だろう…という思いがありました。

また聖書にあるような奇跡が見たい。神が生きている!というのを本や話しでなく、実際みたい。本当にあるのか…と求め始めました。
それは宣教師さを夫妻も同じで、色んな所に連れて行ってもらいました。

そんな中、長崎に来られた二人の牧師さんと出会いました。
私たちは、さらに熱心に求めたり探したりしていましたが、
同時に私の中の「教会」こだわりは強くなってきました。
また私の中で、自分の信仰に対して疑問が湧いていました。
私は真にキリストを信じているのか
この人たちを求めているんじゃないか。
この英語の世界が私の偶像になっているのではないか。
やがて、お世話になった宣教師さんを批判する思いが湧いてきました。

何で家族の都合で礼拝が休みになるんだ?
とか、日本人にはわからないクリスマスに対するこだわりとか…

随分生意気になっていたものです。
時々礼拝に行かなくなりました。


そして、神さまに三つのことを願うようになりました。

出会った二人の牧師さんと宣教師さんは親しくしておられました。

ある時、宣教師さんが留守だというので、そのうちのお一人から私に電話がかかりました。
伝言を依頼する電話でしたが、
その時に、ビックリすることを電話の相手が言いました。

私が当時自分に関して、また自分の信仰に関して思っていたことを、全部言ったのです。
大きなものは、
私は、イスラエルの民が昼は雲の柱、夜は火の柱に導かれ、それが動いたら動き、止まれば動くまで決して動かなかったように、主に従いたいという思いでした。
具体的にどうすれば良いかわかりませんでした。
まさに、それをなしている教会でした。

結果、私はその方が仕えるその教会に通うようにと主が示されたと感じて教会を変わりました。

宣教師さんは、脱皮の時がきましたねと出してくれました。
変わって行き始めた教会に、私が願っていた三つ全部がありました。
ビックリしました。

私はこの教会に夢中でした。
これぞ私が追い求めたものだと年々ピースがはまりましたが、
戦いはもの凄いものでした。

何度ももうやめる!と思ったのですが、
私が行ける「教会」は、他にありませんでした。
とにかく繋がり続けました。
いつのまにか、私の生きる場となりました。
間違いではないと思います。
私たち一人一人が各器官だから
です。
posted by JOYJOY at 09:06| Comment(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

教会

まだあがるかな?
次は教会

私が最初に、宣教師さんに聞いた質問は、
「教会って何ですか」でした。
その時からずっと「教会」は私のテーマになりました。

何故かはわかりません。

不思議なもの。一体何なんだろうと思ったし、
信じるということの実質は、教会に加わることだと思ったのです。

ところが驚くほで千差万別で、
何が教会なのかわかりませんでした。
加わりようがありませんでした。

今30年以上経って、
私がこだわっていたテーマは、
なるほどこだわる価値があるものだったとわかりました。

この世に、こんな存在は、またとありません。
だから、世で学んだ知識や情報、自分の経験上にはないもの。
素晴らしいもの。キリストのからだ。真理の柱、土台。神の家。いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ち満ちたところ。

その時の宣教師さんの答えは、
教会は建物ではありません。
でした。

それ以外覚えていません。
ピースが一つずつはまり、
今、全体がぼんやり見え始めました。

あなたがたが神の家。

信じてから毎日3〜4時間聖書を読んでいました。
お前、良くその小さか字の見えるね
母がよく言いました。

本当ですね。
ページをめくるたびに次に何があるか、
単純に好奇心から
ワクワクドキドキしました。
読むごとに自分が全く新しい世界の人になっているように感じました。

最初ちんぷんかんぷんでしたが、
だんだん入ってきました。
私が出会ったことがない世界でした。

だれが教えたわけでもないのに、
聖書に書かれた神のことばで、偶像礼拝がまずい、酒を飲むことも…また、十分の一を主に捧げることが何なのか、
全部真理だとわかりました。
揺るぎないものでした。

何かあると、聖書から答えを探しました。
目がどうの…はあまり関係なくなりましたが、
やはり、機会あるごとに、いける神の証として奇跡が起きないかなと求めていましたが、
これはまだ起きていません。

ただ急に英語をしゃべりはじめ、気がつけば、
私は、日本にいてアメリカの世界に住んでいました。

あるとき、これはまずいなと思いました。
みんな、これに憧れて私や宣教師さんに近づいてきました。
そのおかげで、家庭教師をお願いしますと十人くらいやってきて、断るほどになりました。
これでは、キリストはアメリカの宗教だと思われる。と私のうちで平安がなくなりました。

また、敬虔を利得の手段と…という聖句がひっかかりました。
やがて、宣教師さんが不在の時は、代わりに私に通訳して…と、病院や警察までいってくるようになりました。

まさにあのドクターが言った
喋る英語になっていました。
ビックリです。

posted by JOYJOY at 08:31| Comment(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

見るともなく見ないともなく

7A991C99-47F6-42B5-A112-7B4153EEA73C.jpeg
私自身が自分の目についてはっきり知ったのは、
苦難の大学生活が終わろうとしていた頃でした。
入学式の日に、間違ってしまった。止めたいと母を悲しませた学生生活は苦しい毎日でした。

長年メガネをかけていましたが、卒業を機に
コンタクトレンズにしようと思って
眼科に行きました。

そこでドクターが衝撃的な診断結果を話してくれました。

彼はまさに、以下のように私に伝えました。

忘れません。

「あなたの目で英文科を選ばれた、その勇気に、
私は敬意を払います。
あなたの目は、英文を読むのを最も困難とする目です。横に焦点を動かしていくのが困難です。
もし、仕事で英語を使うなら、読んだり書いたりするのではなく、喋る方をやってください。
これからは、なるべく目を使わず、見るともなく見ないともなく生活してください。目を使うだけで、体をいじめることになります。」

これで、これまでの事全部に合点が行きました。

何故辞書をひこうとすると、Rがいくつ並んでいるのかわからなくなるのか。

夜宿題をして、立ち上がった瞬間や、
暗がりを歩いてトイレに入り灯りをつけた瞬間に倒れてしまうことや、
物差しを当てて、長さを測ろうとしてもできないことや、
まな板の上で野菜を切ろうとすると、
なぜ縦に野菜を置いて切るのか…普通に切れないか…
何故朝から眠たくて仕方ないのか…

そして、だだっ広い名古屋の町の真ん中で、

見るとも見ないともなく、生きることなんかできない。
それは生きるとは言わない…と、
どうしたら良いかわからず、
ただ呆然と幽霊のように歩きました。

喋る英語など、急に身につくはずもなく、
その日にあった卒論の審査のための教授の面接で、
ひどい英語だ。他の科目も合格していない。
本来なら卒業できないけど、置いておいても卒業できないから出すと言われ、一生英語とはかかわることはないと思いました。

英語だけではありません。

本当に目を横に動かして物を見れないので、
レジさえ打てず、
パートの仕事一つできませんでした。
もちろん運転も自転車もダメ。

細かい作業はみなダメ。
お客さん相手も目つきが化け物みたいになるのでダメ。

本当に何故生かされたのか…

神という存在があるなら…と、神という存在に恨み言を言うようになりました。

生きる道を探してありとあらゆる事をやってみました。宗教も回ってみました。見合いもしてみました。

保育の通信教育も受けて資格もとりました。
でも、正式な採用試験は年齢がオーバーしていて受けられず、
臨時に雇われ、それからずっと保育の仕事をやりました。

それでも、もはや、何をやっても、
自分は生きていないと感じるようになってしまっていました。
いつもイメージがありました。
自分の前に恐ろしいほどなガレキの山があって、前に進めず、
一個どけては立ちすくみ、手をこまねいている自分でした。

やりたかった音楽もやってみました。
しかし、やはり目が影響して、あるところで頭打ちになりました。そんなもので自分を生かすことなどできませんでした。

英語だけは決して触れたくなかったのでしたが、
ある方から、
是非宣教師の生活を支えるため英語を習ってくださいとお願いされ、そのお宅でなされた英会話クラスに出ました。

全く期待していませんでしたが、
宣教師と聞いて、
ひょっとしたら、そこに、自分を生かす何かが見つかるかも…と、わずかに、そちらに期待しました。

英語はなーんにもわかりませんでしたが、
宣教師の方が日本語で言われた言葉が、
何と、本当に神さまが言ってくださっているかに聞こえました。

「神さまは、みなさんを愛しています。みなさんも、この愛を受け入れませんか。」

しかも、これが
自分が立っている地面より、もっと下の方から
お願いしているように聞こえました。

ビックリしました。

神という存在は、絶対で、偉くて、
どこか高いところから、まるで操り人形のように私をもて遊び、私には抵抗などできない。反抗しても押しつぶされるほど力を持っている
…そう思い込んでいたのに、
受け入れませんか….なんて、神さまがお願いするの?

こちらに選んで欲しいと言っているなんて。
神さまって、こんなに低いのか…

そして、はたと気づきました。
それまで、神がいるなら何で!といきり立ち、
一度も
助けてくださいと助けを求めたことがなかったこと。

愛してくれていたんだということ。
本当の神さまに目が向きました。

その夜、お風呂の中で、
受け入れます。受け入れます。と一人で父なる神の中に飛び込んで、喜びに満たされました。

それから、私は、この目が癒されるかも…と期待しました。いくつもの集会で祈っていただきました。
頼みもしないのに、祈ってくれる人もいました。

でもどうやっても、ああやっても癒されませんでした。

アメリカに行くという話が出ました。
その時、私は、目が癒されたら、その証を持ってアメリカに行きますから祈ってくださいと頼みました。
アメリカは車社会で、あの宣教師さんから、
えり子さんは、アメリカなら完璧にブラインドですよと言われた事があったからです。

祈ってくださいと私が頼んだ牧師は、
「従ったら癒される」と言って手を離しました。

私はアメリカに行くことにしました。

アメリカではもちろん、いつもだれかの車に乗せていただきました。別に不自由は感じませんでした。
目は未だにそのままです。

はじめは家庭教師ができました。
でも、だんだん生徒のノートや教科書が見えなくなりました。

こんな目で、不思議なことに、教会の会計の奉仕をしました。一体何年?
エクセルも使いました。
よく大きな間違いもなくできたなと
主の守りを感謝するのみです。
チョコチョコ間違いはありましたが…

しかし、パソコンに向かう私の姿勢は凄いものでした。目をくっつけないと見えないのですから。
腰も痛かったし、眼精疲労は相当なものでした。

医者がするなと言っていたことを、
主の守りでやっていたわけで、主の凄さに感動するばかりです。

辞めろと言われ、辞めましたが、
潮時だったのでしょう。
目を使うと体をいじめる…
最初意味がわかりませんでしたが、
やがて理解できました。

麻痺した腕を使おうとして、震えることがあります。にもかかわらず、使おうとすればするだけ震えます。
その時のエネルギーは凄いものだと思います。
文字通り体をいじめるのです。

だから私は疲れます。眠ります。
なかなか太ることができませんでした。

でも主の守りさえあれば、
主がさせられることなら、何でもできます。

さすがに
デジタルの音響機器を操作せよと言われた時は、
一瞬やろうとしましたが、
いや、これは無理だとわかりました。
見えないですもの。
モニターに字があるのか絵があるのかさえ。
そして、演奏者のデリケートな表情も見えないですもの。

まるで車を運転しなさいと言われているのと同じ意味で無理でしょう。
そしたら、
「従わない人」になってしまいました。

ね、見えないんですよ。

普通に生活しているみたいですけどね。
見えないってわかりますか?

努力しても祈っても見えないものは見えないんです。

痛くてもフラフラでも、姿勢悪くても見えるなら、
私だってやりたいですよ。
何だって。
やらせたいあなたが思う以上に、私、もっとチャレンジ精神のある人でしたよ。
主がさせてくれるなら何だってやるよと言いたいですよ。

子どもの頃から、何だってやりたかったですよ。
だからチャレンジしました。

でもすべて、教える人があきらめました。
編みもの、漢字、製図、バドミントン…
自転車…
私は、何としてもできるようになりたかったです。

もう努力は認めますからって言われた時の悲しいこと。

あ、そうそう。

何で働かない!と言って、バイトを探してくれた人がいました。

簡単なお店番。

私レジ打てないし、小さな値札も見えないし、
で、時間より早ーく出勤して、値段を全部覚えようとしました。

見るに見かねた店主さんが、
「努力は素晴らしいけど、自分がきつかろう。あなたに合う仕事があるさ」
と3日でクビでした。

ファミレスで食材準備する仕事したら指を切るし、
新聞配達では、暗くて、高いところから落ち、怪我をして、
小学生だってできるのに、あなたはなんで…と怒られるし…
やっと落ち着いたのは掃除でした。

保育園では最初、私が掃除したあと、
いっちょん綺麗になっとらん…とか、
子どものお顔を拭いたら、先生、拭いたと?汚れとるとか言われていましたが、
私の目に、どうやら気づいたらしい。
目を使う細かい仕事は言わなくなりました。



posted by JOYJOY at 01:26| Comment(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする