2020年01月31日

グリーフケアという言葉

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昨夜医療ドラマを見ていた。

このドラマは、一度見た時に、色々考えさせられるところがあって、
また見てみることにした。

主人公の女医さんの夫が亡くなる。

悲しみの中にありながら、彼女は仕事に戻る。
夫の父と幼い息子が悲嘆に押しつぶされそうになる一方で、
彼女は自分がしっかりしなくちゃ!と
悲しみに勝とうと
悲しみを封じ込めながら働く。
そのパワーに周りは驚く。

診察中に、
一人の患者さんが「先生、同じ人?今日、一回も私と目を合わせてないよ」と言う。

その彼女に、上司が「グリーフケア」について、まるで講義するように語った。

見ながら、 

最初は、クリスチャンならグリーフなんて…と思った。
聖書とは違うじゃん…

永遠を生きているし、父も母も生きていて、再会できる。
むしろ、天に帰れたことを喜んでいるから、
グリーフにならないんだよ…と言ってあげたかった…

が……

自分の状態は、現実として、
まさに、このグリーフケアをきちんとやらなかった人の状態だ。

無気力、うつ、感情の起伏が激しい、怒り、疲労…

全部あった。

グリーフはないと思い込んでいたが、
ないわけはない。

キリストは、ラザロが死んで墓に葬られた時泣かれた。

毎日聞いた声、見ていた顔、触れていた温かい肌……
気を使い、手をかけ、気を揉み、文句言ったり、慰められたり、世話したり、喜ばせてもらったり、そうやって来たのだ。

それが全部消えたのだから。その事を処理できず次に歩を進めるわけはない。

永遠のいのちに生きている喜びとはまた別に、
ちゃんと悲しみはあった。否定することはできないのだ。

一般的に言われるケアで大事なみっつ。

一方的に励ますのでなく悲しみに寄り添う。

それができるのは、親しい家族か友人。

悲しみを否定せず肯定し受け入れる。きちんと表し外に出す。そのために思い出の物などをしまいこまない。
儀式をする。

もちろん、主に祈って感謝して、これらがクリヤーできれば恵みだ。

母の時には自然にこれができた。

父と自然に悲しみを共有できた。

涙出ないと言いながらも、母が天に帰れたこと、肉体の苦痛から解き放たれたこと、この地上のマラソンを走り切って、天でイエスさまに、今報いと慰めを溢れるほど受けていることを喜ぶ一方で、
自分の寂しさや悲しみは小さなものだと思えた。

母の肉体の死をきちんと受け入れられた。

父の時には、私の喪失に寄り添い共有してくれる家族がだれもいなくなった。

知った人はみな同情してくれた。
しかし、私の悲しみを共有できる家族の存在はもういなくなって
一人で喪失感と戦わなければならなかった。

悲しみというより、喪失感だ。

私はその時に、もう一人大切なものを亡くした。
こちらはどうしようもなかった。

今でも夢を見る。昨夜も見た。

むしろ、これを亡くしたから父がいなくなった悲しみから抜け出せなかった。

まるでこのドラマの主人公と同じ。
居て当然だった夫を亡くした夫人のよう。
自分を亡くしたも同然。

私が愛する教会がなくなったのを知った。

もちろん教会はなくなってない。ちゃんとある。
今も私は礼拝に行く。居るのは同じ人たちだ。

でも、
自分の夫のように、自分がその一部となっていた私の教会が亡くなった。
愛する家族なんかいないから、私がしっかりする必要なんかない。

まさにグリーフケアが必要な人だった。

どうにも乗り越えられず、
受け取れず、
仕事に没頭しても、紛らそうとしても、
うちに帰ると、この主人公のように、悲しみを共有できる家族の存在もあるわけはない。実は教会がそれだったから。
その中にいさえすれば、悲しむ必要さえない家族以上の存在だった。

それがなくなっていた。

私が書いていることは、多分、
おかしな事を言っている…としか思われないだろう。
聖書的におかしいのだろう。
全部自分の内側の世界。
私が勝手に思い込んでいるのかもしれない。

でも、確かに、私には
「ケアをちゃんとやらないと……」と列挙された症状全てがあった。
父の介護がなくなった喪失感と、またそれ以上に、戻る教会がなくなった喪失感と戦わなければならない。
一方で

無気力、うつ、感情の激しい揺れ、怒り、疲労、目を合わせない

そして頻繁に夢を見る。

自分が外され、自分が担当だったその部署にハッキリ他の人の名前が書かれていた。

突然、一年前の何かについて一年めの節目に証しをするよう指名された。牧師なら当然する。
前に出てアレコレ話したがしどろもどろだった。
すると、それをカバーするかのように、ある人が引き継いだ。

超えなければ、いつまでも悲しみの中だ。明日がない。

書いて、出して、自分でグリーフケアしているのだと思う。
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2020年01月30日

明るくなった

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いつも仕事が終わって園を出るときは
真っ暗だった。
今日は、明るい。
季節が変わる。
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2020年01月29日

主のことば

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解き放たれて、朝の気持ちのいい空気の中で
信号を待っていたら、
ことばが、フッと湧いた。

「あなたは良くなった。もう罪を犯してはなりません。」

あなたは、もう良くなった…
確かに。ありがとうございます。

帰ってから、どの聖句が語られたか探した。

何と、私が大好きなベデスダの池での
イエスさまのことばだった。

このことばには続きがある。

この病気は、誰かからウィルス感染したのではない。
私の場合、過労でもない。

私の内側で眠っていた不活ウィルスが、何故かこの時に目を覚まして暴れ始めた。

主があえてお許しになったこと。

すべてを否定的にしか見れなくなって、
主の真実さえ疑った。

それでも主の手は、私から離れなかった。

久しぶりに出勤した日、
仕事帰りに近くのスーパーに寄ると、
バッタリ一人の管理職員の方と遭い、
レジで、同じ職場の人間が三人並んだ。

自分がこの職場の人間になったな…と、
なんだか嬉しかった。

牧師のはずが保育士へと
変わってしまった自分の人生を受け取れなかった。
が、
これを主は祝福しておられた。

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