2020年02月02日

聖職?

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最近よくテレビを見るようになった。
敵だったテレビを今はよく見る。

物音がしない土曜の午後やそれに暗闇が加わる夜は、
人の声が聞こえると
全く気分が違う。

昨日、ん?と目を引くタイトルにひかれ
見た民放の番組が

聖職のゆくえーー令和の働き方改革

給特法☆♯♪→$…

正確な文言は忘れた。

何だ?これ…と見ると、

宗教指導者の話ではなく、教員の話。

教員は労働者じゃない…日本の法律がそう言っていた。

まず、
エ〜?教員って聖職者だったの?とビックリ。

だから、時間外勤務に関しては…と、
60年代に定めたらしい。
給与の4%手当てを支払う…

私は、すぐ教員だった母を思った。

60年代70年代は、母が労働運動に力を入れた時期。
母が戦った主目的は、教え子を戦争に出すな!だった。
だから軍隊を肯定するような方向へと導く動きに対して反対せざるを得なかった。
自由な発想を縛り矯正しようとするプログラムや
物の見方に対し抵抗した。

しかし、同時に
産休や育児休暇制度さえなかった当時の聖職者たちの職場環境のためにも戦った。
パワハラ、セクハラもあったそうだ。
聖職なんて言えない環境だったらしい。

まだ保育所が稼働していない時代、
母は、私にミルクを飲ませるため、昼に飛んで帰ってきた。
それを校長から責められたとか…

幼稚園は母親の小学校併設の幼稚園で、先生が可愛がってくれたり、うちに泊めてくれた。
職員室や母の教室で遊んだ。

生徒のお兄さん、お姉さんが遊んでくれて、その家にも連れて行ってくれた。
日曜は、生徒さんたちと弁当持って遊びに行った。
父も生徒たちを可愛がった。

うーーん、残業といえば、全部残業…

夜中に、悪いことをした子のため警察行ったり、
ご父兄が来て話したり…

うちでよくテストのまるつけをしていて、わかるようになったら、私も手伝った。
良い時代だったのかな?

学期末、うちで通知表を書いていた。私も手伝ったことがある。
印刷物をカリカリ鉄筆で書いていた。

全部残業だな…

でも、私には、それが母の生きがいに思えた。

にしても、聖職とは思ってなかったようで、
一労働者だと母は自分をそう思っていた。
でないと、無理がある。

ただ、その労働が母には楽しみだし生きがいだった。と思う。

もちろん、今みたいに異常な業務量じゃなかったはず。ここまで学校に責任をなすりつけてなかった。

ご父兄にとっては、まだ、ありがたい先生様で、
先生が諭せば、親も聞き入れ、モンスターペアレントなどなかった。

その当時、教職員組合は、この4%の手当てを
毒まんじゅうだと言っていたそうだ。

この4%で、全てを賄い、やがて業務は限りなく増して行く…と懸念したが、残業は命じないという文言でこれはいつのまにか落ち着いたらしい。

しかし、当時の月平均残業時間数と、現在の時間数を比較したら、何と十倍だった。
月100時間超える先生も何人もいる。

教職がブラックだと思って、教員のなり手がグングン減っている。

何が変わったのだろう?

あの良い時代、母の給与は10.000円以下。
10円でアンパンが買えたから、十倍としても…
物価の桁が違っても、高い給与じゃない。

私が大学卒業の時やっと20万を超え、
私が29歳の時、やっと30万を超えた。

40万ほどの入学金を払ってくれ、学費生活費を仕送りしたのだから、考えたら、ウソ!と思える安月給だった。

しかし、母は最後まで教育には情熱を持っていた。
特に障害を持った子供たちのために闘っていた。

ある日、若い先生が母に聞いた。
「先生が30年も教員続けて来れたのはなぜ?」

母はジッと考え、
「金」と答えた。

その先生はショックを受けた。

でも、私はわかった。
綺麗事じゃない。
私たち家族を支えるため、生きるため…そう思うと、
正義のため、子供のために闘って受けた、どんな戒告処分も、他からの嘲笑も母は超えて、辞めないで、子供たちの教育に携わり続けることができたのだろう。

もし、それがなければ、
多分、
聖なんて程遠く、正義が通らない矛盾だらけの世界で、
教員など続けていけなかったろう。

今、保育園も似た状況だ。

最近市の広報に、
待機児童を受け入れたいが、保育士が足りません。
結婚などで退いた保育士さん応答してください!と悲痛な案内があった。

確かに…

しかし、現場経験のある、キャリアを持った保育士は、多分手を上げないと思う。

無理があるのは、よーくわかっているから。

実際、かつて一緒に働いた私の友人も、
続けていれば、一つの園を任されるくらいのキャリアにもかかわらず、
理由は、過剰な事務作業。

うーーーん、私、孫を見る!と反応した。

管理職レベルの方は公休返上して、行事や職員会議に出てくる。
他の保育士も、
朝8時から18時、普通に居る。
勤務時間などあってなしだ。

早く帰れと言われても、翌日の準備がなかなかすまない。問題のある子の父兄との電話やりとり、電話待ち…

事務作業は、私が働いていた頃とは雲泥の差で過剰で厳しい。外からも中からも、父兄からも評価も厳しい。

ブラックとは言わないが、
ほんの少しバランスが崩れたらガラガラ…は見えている。

その中で、残ってきた職員にとっては、
やはりこれは人生なのだ。

残業とか休日出勤とか意識してない。

使命感だ。

言われなくても、休日に、参考のため他園のお遊戯会を見に行ったり、
玩具を見に行ったり…
保育計画を考えたり…
互いにラインで話していたり…
パートの私でも何がしかやっている。

でも、働く姿勢は人それぞれで、それが仕事ならば、辛い人には辛いのだ。
比較して、保育士よ、使命感に燃えて働け!
家族を犠牲にしても働け!
体はそのために管理して、
しかし万一
現場で死ねば栄養!…なんて、だれも言えない。




posted by JOYJOY at 11:23| Comment(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする