2019年12月30日

教会は

教会は、私にとって
最強の囲い、力、家、
最善の安息の場。

そこにいる人たちは、もっとも信頼でき、信用できる人たちであるはずだった。

血縁よりもっと繋がれる
そう信じて疑ったことはなかった。
それは真理だが、
今はそう感じることができない。

もし私に何かが許されたら、
すべて一任できる。
何も言わなくても大丈夫。
そう信じていた。
肉親よりももっと家族だと思っていた。
どこより愛が満ちた場だと思った。

それが真理。

そして、
まだそう思っているのだろう。
だからかえってこんなに辛いのだろう。
教会にだけは失望できない。
失望してはならない。するわけがない
のが真理。

あちらが
たとえ私を無視し、
アイツとは話もするな。

もっともらしい理屈で惑わされる…なんて言っていたとしても。

邪魔されるな!
われわれは、一心不乱に崇高な神の御心を行うのだと言っていても。

何があっても、何を陰で言われようが、
やはり日曜には、どんなに辛くても私は行くのだから。

私は陰では言わない。ハッキリ言う。
陰で言っても意味がない。
だれも同調して欲しくない。
悲しい仲間は要らない。だれも仲間にならないで。
悲しいのは
私一人で充分だ。


私にはしかし、これ以上続けられる自信はない。

続けられるなら主の手が支えて運んでもらうしかない。
でなければ、早く天に帰りたい。

母は、私に何もしてあげられなくなったとき、
私が、母を母として慕い、愛して求めていたかどうか敏感に感じていたと思う。

時々見せた鬱の表情は、生きる気力を失った時。

私が、母を母として愛し慕い、求めていない時だった。母が私の期待に応じられず、
イラついた時だった。
かえって
母の存在が重たくなったりした。

しかし母は、存在そのもので私を癒し慰めてくれていた。

大事な働きをしてくれていたことに、
全く気づいてなかった時が何度もあった。

母の私への愛ゆえに、母が私のために生きてくれたがために、私の内側が、母の生きる気力さえ萎えさせたのだろう。

posted by JOYJOY at 17:46| Comment(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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