2020年01月12日

成人の日

今日はあちこちで成人式があったらしい。

私は、二十歳の時は苦しみしかなかった。

当時の自分には、高い壁に道が塞がれたようで、
前に進めず
絶望感に押しつぶされていた。
完全に迷子だった。

何とか切り開きたくてもがいた。
でも力なくただ手をこまねいた。
キリストを信じるまでガレキの山の中だった。

今思えば可愛いもんだった。
まさか、こんな展開が待っていたなんて…

それからステージは何幕も変わった。

あの頃の自分がはるか彼方の彼方で霞んでいる。
色んな人が助けようとしてくれたはず。

当時を知る友人と一人だけラインで繋がっているが、
多分、彼女が知っているのとは、全然違う私が今はいるはずだ。

二十歳…

今がどんな舞台でも、
まだまだ未筆の真っ白な原稿用紙が分厚く用意されている。

どれだけでも選択肢はある。

キリストを信じて、
何度でもチャレンジして欲しい。
成功だけの人生でなく、失敗して学んで欲しい。

神が導かれる道で、
貧しさも豊かさも、どん底の苦しみも、
恵みによって
高くあげられることも体験してほしい。
他人を痛めてしまうかもしれない。
自分も傷を負うかもしれない。
赦せない!と葛藤したり、自分の罪深さに泣いたり…
でも、そこを通って
十字架の愛と赦しの絶大さを流す人になる。

どこにも神ともにいます恵みがあることを
体験して欲しい。

人を大切にして欲しい。

キリストがそうされたように、
人を尊んで仕えて欲しい。
あくまで信じて赦して期待して欲しい。

忍耐して、捨てない。投げない。散らさない。
受け取る。保つ。集める…これは信仰が働かないとできない。

神のことばを信じる信仰は、
必ず人に対して神の愛を流す。
低い低いキリストの十字架の愛を流す。

そうして
美味しい豊かな実を永遠に結んで欲しい。

今私に二十歳の孫がいたら…

こんなことを言って
うるさがられるかもしれない。

二十歳の時は、
自分が60〜70歳になるなんて
ピンと来ないものだ。

30代に、
「60〜70になって、体がガタガタになってから
神に用いられたって、嬉しくなんかありません!」
なんて口走ったものです。

わかったことは、
こちらが嬉しいかどうかは関係ないということで、
要は
主が計画されたことが、一人一人の人生で全うされるっていうことが大事なこと。
その中で恵みを受け取ることこそが大事だったったこと。
posted by JOYJOY at 23:43| Comment(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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