2020年01月13日

変更…

明日のうちでの集会がなくなった。 

いずれにしろ、自分たちの聖書の学びはある。
始めといて良かった…

あまりに変更が続いた。

覚えているだけで、昨年一年で三回はあった。
今回入れたら確かなもので、四回め?

いつが良いか?と聞かれても、私はいつとは言わなくなった。
どうせ、もっと大事な集会が出てきたら簡単に変えるんでしょ…
だったら、そちらの一番良い日に。

もはや私としては、変更されない、講師が追い詰められてない日が最善なのだ。

ご本人は覚えておられるだろうか
こんなに頻繁に変更があったこと。

一回二回なら
まああり得るが、
さすがにこう頻繁だと、

二回めか三回めの変更を告げに、こんにちわ!と玄関入っただけで、

「何ね、またね」とおばちゃんに言われた。

こんなことが何度もあって、お年寄りがこんがらがるので、
わざとお知らせをギリギリまで待って確かになってからお知らせしたりして、
なるべく
「また⁉️」と言われないようにした。

今回も、早く日にちは決まっていたが、
わざわざ通知のタイミングをはかり、
やっと、もう大丈夫かなと告げに行った夜に、「変更」連絡があった。
やんごとなき理由だから飲むしかない。

おばちゃん、今回は「また⁉️」とは言わず、
冷ややかだった。

「こがんとは、あんまり変えたらいかんさ…」
ボソッと一言。これで二回めに聞いた同じコメント。

わからないなりに、
知り合いを誘ってくれたりするので、こうコメントするのはわかる。そうよね…と言うしかない。

そいで、いつね…と聞かれたが、
以前、変更した日にちが、更に変更になったので、
もう良く良く主の御心が確かにならない限り
みんなに伝えるのは止める。

間違ったら即変更する神の前の低さは、
周りがどれだけ混乱しても大事なのだろうが、
周りに担わせているものがあることも確かだ。

人の時間は、長老も若い人もおばあちゃんも、みな同じ価値だ。
だれかの時間が重く、だれかの時間が軽いわけはない。
集会や奉仕は、みな主のものだから、どちらかが大事で、どちらかはいつでも簡単に変えて良いほどどうでも良いはずはない。

人の気持ちは、しかし、だんだん、自分たちの集会は、
そんなに大事じゃないんだな…と思い始める。

それらを超えて、なお呼べば来てくれる人たちだ。

それなのに、そんな周りに対して、感謝しないから!はない。

全て起こる事は主の許しのもと!
感謝しないから益にならないんだ!と、
こちらの感謝の欠如をいさめるって、
それ、おかしいでしょう。

本当に弱っていれば、何でも「はい」と言うはず…と言うのがご本人の正義だ。

弱っても、なさなければならないことはなさなければならないでしょう。
なるべく力使わず通り抜けたいのです。

弱っていれば、それにプラスしたストレスは欲しくないのはごく普通のこと。
感謝を強要されたって、こちにはそんな力はないのです。

また⁉️と言われることを瞬時に思い、
それだけで、辛くなり反応するのさえいさめられるんですか。

神は混乱の神ではない。
あなたが良いとしていることでそしられないように。
みなの益となるように。

あなたは、得々として、「苦しい中主に従ったら、こんなに祝福が!
見なさい。従わない人たち。感謝して従わないからあんたたちはこれを見ない」と言わんばかりに証する。

あなたの祝福は良かったですね。
多分私は、何とも言えないもやっとした割り切れない気持ちでそれを聞く。

聖書は、主に従うとき、周りを大事にする。

何故?

この地上での
神の計画は、「人」を救いに導くことだから。
それを切り捨てた神への従いなんかない。
posted by JOYJOY at 16:20| Comment(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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