2020年01月20日

選択を迫る

「2月5日来ます?」
「保険の都合で…」
昨日私は聞かれた。

保険なんて、人数✖️〜円なら
わからない人は外しておけばいい。
保険ですべてカバーできるかは、今の時代わからない。

限られた財源なんだから当然です。
自分の身は自分で守る。
災害で言われること。
自己責任。

参加不参加わからない人まで主催者が責任を負う必要なんかないし負えない。まして、一人一人どう動くかは千差万別だ。

主催者の主である神が一人一人の保険。

そんなに体への危険が不安な人にはライブ配信もある。

ある人数まで変わらないなら
一人でも多く入れとけばいい。

私は、別に保険をどうこうと、文句を言いたいわけじゃない。
そんな事かかわりたくもないし、考えたくもない。

それでも保険入りたいかと聞かれたら、
それは愛のある
ありがたい質問だ。
ありがとう…じゃーどうしようかな…という反応になっただろう。

聖会に来るかと聞かれたら

「は?」

委任状の時も同じ。

そこですでに
仲間外しが始まる。

私に
来るか来ないか選択しろと言ってる?

つまり
「来ない」という答えを選択肢に含めた質問を平気でやっているのに気付いていますか?

来させたいの?
来させたくないの?

どっちでもいいならほっといて欲しい。

そんな聖霊の繊細さはありませんか?

こんなこと書かなければならないのは
とてもとても恥ずかしい。

あおらないでください!

そう礼拝メッセージが先々週語っていたけど、
これを「あおる」と言います。

やっぱり…こうなんだ…と、自分の位置づけができます。

事故があってお金が出る出ないよりもっと大事な事。

私なら絶対に聞かない。

来て欲しいと思う人間には絶対に聞かない。
来ると信じているから聞かない。

それが毎回集会の連絡をする時の私の信仰の行為。

露骨に選択を迫らなくても
いくらでも確認方法はある。

話せば、相手の反応でわかる。
積極的か消極的か、望んでいても何か壁があるのか、あるいは、嫌がっているか…
でも一人でも多く来て欲しいから、
相手がより喜んで参加してくれるようさらに主に導いていただく。

牧者はいなかった。

忙しすぎて
みな一般企業と同じ

ただの組織の歯車として事を進めるのに一杯一杯。

血は通ってなかった。
上手く出来るか、時間内にできるか、安全か、それが全てなら
世の中にもっとすごいプロ集団が山ほどある。

私はキリストのからだの牧師になりたい。
外から中へ
一人でも導き入れる牧者のキリストに使っていただきたい。
散らす、切り捨てる、追い払う…は、
みなが世の中でイヤというほど味わってきた事。

私が書いていることの意味がわかるだろうか…
posted by JOYJOY at 08:52| Comment(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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