2019年06月24日

朝が来て

朝が来て、
また始まりました。

昨夜は主の助けを受け、
あっけなく就寝体制に入れました。
何ということがない、
呼吸をするレベルの、
力なんか要らない事じゃない!

済んでみるとそう思うのです。

人間は、神からの息吹きを受けて生きた存在になったので、
その方の力がなくては生きられないということ。

あるいは、思索がやられ、
妄想にはまって、
いずれは、息を吸ったら吐けないんじゃないか…
なんて、息を吸う事さえ辛くなったり…
は、笑えない、
ありえる事かもしれません。

夜寝たら、今朝は起きれず、
早天に6時半を過ぎてから入りました。

朝の目覚めに関しては
主の助けを求めていませんでした。

というより、

助けを受けて
元気はつらつな自分を想像するだけで
またキツくなりました。

これは、老いか病いかだな…

また頑張る…
それを考えると、生きるのって辛いなあと
毎朝の目覚めの時に悶々とします。

ずっと以前、マーリンキャロザス氏のセミナーを聞いた時、
朝目覚めの時が一番キツイので、目覚めを神さまに感謝して…
などという文言を不思議に思っていました。

日中さまざまな事に出くわすのであって、
何故目覚めの時?と首をかしげ、
まあ…そんな事もあるのね…とやり過ごしていましたが、
今、果たしてその事が理解できます。

元気盛りの季節には
わからなくて、
こんな訴えをする人達を
一刀両断に切り捨てていたのかなと思います。

今は、主によらなければ、
朝起きることもできません。
立ち上がる事もできません。

立ち上がった後の自分は、また普通になります。
何と、
人は神によって生かされていることか…

神のエスカレーターに再度乗り切れるまで、
この戦いが続きます。
posted by JOYJOY at 07:58| Comment(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

また明日から

また明日から仕事です。

仕事に限らず、
何かをしなくては…と思うたびに、
やる力がでないんじゃないかと思います。

すごーく力が要ると感じます。

些細なこと、
たとえばシャワーする、歯磨きする、着替える、床を準備する…
こんな簡単なことまで
力が要ります。
悲しいかな。
その力さえありません。
 
以前は意識しなくても、
心と身体が自然に動いて、
次へ次へと向かっていたのに。

今は、ついにはできなくて、
ゴロリと横になってしまうこともしばしばです。
今夜もこの後、とこに着くまで、まともに準備できる自信が全然ありません。

まして仕事のために、
まず約30分歩いて通勤する…
それから、やっと仕事…など、
頭の中で考えてしまうと、
できるかな…いやー無理だなと毎日思うのです。

でも、できようができまいが、
やらないといけません。

自分にはない力は、
神さまは喜んで与えてくださいます。

聖書のモーセは、80歳で、
自分の同胞ユダヤ人を、エジプトの奴隷としての身分から解放し連れ出して、荒野をカナンの地へと導くという神からあたえらた凄い仕事を、
彼の力でなく、
百パーセント神の力でやりました。

でないと、
たとえ彼が、血気盛んな筋骨隆々の若者でも、
あの壮絶な仕事は
なし得なかったでしょう。

現実に、
神さまは、弱さの中に、
ご自分の力を完全に表されるのです。
だったら、どんなに力が要る事も、
主の力で運んでいただくのみ。


きっと今夜は、
主の助けを受けてシャワーし、歯磨きし、
きちんと着替え、トコをのべ、
そして明かりを消して就寝できる!
こんな些細なことも、助けなしには無理。
でも主は、そんなことも見下さず、助けてくださる。

まず
そこまでを信じよう。
posted by JOYJOY at 00:04| Comment(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月23日

Above all

今日は、インターナショナルサービスの
送別会がありました。

フィリピンの若者たち三人が帰国するので、
最後の交わりの時でした。

もう終わろうかという時、
「歌おう!」という声があがり、
帰国する若者がギターを弾いて
みなが賛美し始めました。

色んな国から来ている人たち。
立場も年齢もまちまち。

多分、英語が公用語でない国の人もいます。

その彼らが賛美の歌を歌うと、
霊が一つになりました。

歌い始めたのが
「Above all」
私が大好きな賛美です。

自分で訳した歌詞を、
いつも使う部屋に、
みなさんを招く部屋に貼っています。

その歌を歌い始めたので、
私も、グッと心が吸いつけられました。

特に、

「十字架につけられ、石の後ろに置かれた。
死ぬために生き…
地面に踏みつけられたバラのように…」

イエス キリストが、私たちの罪のために
身代わりとなって
神から捨てられたものとなられたことを歌っているこの歌詞は、
何回も何回も歌いたくなります。

聖書の黙示録に、
あらゆる部族、国語、国民が、
天の神の御座の前で賛美する光景がありますが、
まさにそうだなと思いました。

インターナショナルサービスの人たちが、
賛美が大好きな訳がわかる気がしました。

毎週、わずかな時間を礼拝のために共に過ごすだけなのに、
神さまが自分に日本で「家族」を与えてくださったと、
みな、そう言いながら帰国するほど、
一つになれたと感じられるのは、
これのためかな…

話しても、言語の壁や、生きてきた背景の違いなどでピタリと一つになりきれなくても、
一緒に賛美し礼拝するとき、
霊が一つになれます。

posted by JOYJOY at 22:45| Comment(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする